戦後関西新劇の貴重な記録----『関西戦後新劇史1945~1969』
/瀬戸宏
 

 

本書出版記念会で『母』抜粋を朗読する河東けい

戦後関西新劇の貴重な記録----『関西戦後新劇史1945~1969』

瀬戸宏

 新劇の歴史を記述した本は数多いが、そのほとんどは東京中心であった。これにはそれなりの理由があるのだが、東京の新劇が日本の新劇のすべてではないことは、いうまでもない。関西地区にも、有力な新劇運動があった。戦前の関西新劇については、大岡欽治『関西新劇史』(東方出版、1991)に詳しい。だが、第二次世界大戦後の関西新劇の歩みは、長い間空白であった。その空白を埋める貴重な書がようやく現れた。日本演出者協会関西ブロック編集『関西戦後新劇史1945~1969』(晩成書房、2018年11月30日発行)である(以下、本書と略記)。編集責任者は菊川徳之助氏で、菊川氏らが戦後関西の新劇史を編集しているという話はかなり前から耳にしていたが、なかなか姿を見せなかった。厳しい出版状況の中で本書が公刊されたことはたいへん喜ばしい。3000円+税という比較的求めやすい価格であるのも嬉しい。

 本書は1945年から1957年までの第一部、1958年から1969年までの第二部に大きく分かれ、それに付属資料が付く。「あとがき」(菊川徳之助文責「あとがき」)によれば、当初は二一世紀の現在まで記述することが予定されていたようだが、そうならなかったのは、1960年代末までが「新劇の特徴を保持」(「あとがき」)した時期で、1970年以降は「関西でも若手の劇団が続々と登場してくるし、演劇の質も変容してくる」(同)からという。実際には、現在まで記述することで刊行がさらに遅れるのを危惧したのではないか。現実に編集メンバーの中で粟田倘右氏ら何人かは刊行を見ることなく逝去している。付属資料には、現在まで記述が予定されていた名残ともいうべき「一九七〇年から一九七三年の劇団活動」も収録されている。

 

 最初の十二年を扱った第一部はさらに八章に分かれ、各章は劇団、地域単位で記述される。その後の約十年を描く第二部は十一章に分かれ、前半の六章は、今度は月単位で一九六九年までの関西新劇の動向が記される。後半の五章は、新劇ブームはあったか、自立演劇のまとめ、関西新劇団の全国公演・地方公演・学校公演、労演の会員減少など観客変容、1970年代以降の関西新劇と、テーマ別に章立てがなされている。編者による関西新劇運動の総括といってもよい。第一部と第二部を分かつ境界線は一九五七年の関西芸術座創立で、関西戦後演劇史における関西芸術座の位置の大きさを知ることができる。全盛期の関西芸術座は、東京の著名新劇団に匹敵する動員力があったというから、これも当然かもしれない。

 

 本書を通読してまず感じられるのは、その資料性、記録性の豊かさである。当時の劇評、演劇報道紹介記事、関係者の回想録などが豊富に引用される。それだけでなく、編者による関係者インタビューも随所に挟み込まれる。いわゆるオーラル・ヒストリーで、関係者が高齢でもあり(刊行を待たず逝去した人もいる)、本書自体が貴重な演劇資料になっている。資料収集には、たいへんな苦労があったようである。編者(菊川氏)の短いコメントが付いている部分もあるが、最後の五章を除く本書の大半は、基本的には資料によって歴史を語る、という執筆態度が取られている。

 

 次に感じられるのは、記述の普遍性、公平性である。日本文化史が東京中心になりがちなように、関西文化史も実際には大阪と京都、それに神戸の動向で構成されていることが少なくない。しかし本書は和歌山、滋賀、奈良の演劇活動にまで目配りしている。劇団の記述についても、著名劇団だけでなく、小劇団の活動も記述している。演劇活動の当事者が読んだ場合には別の印象があるかもしれないが、当時の関西新劇を直接には知らない筆者には、編者が特定劇団に過剰に肩入れしている印象は受けなかった。付属資料の劇団年表なども有益である。

 

 このような記録性と普遍性に満ちた本書の記述から見えてくるのは、戦後関西新劇界のさまざまな苦闘である。それを担った演劇人の多くは青年であった。

 

 戦後関西の新劇は学生演劇から始まったという。本書には、若く、貧しく、無名だが、若さ故のエネルギーは満ちあふれていた関西青年演劇人のさまざまな試行錯誤が、やや断片的ではあるが豊富に描かれている。第15章に記されているように、新劇ブームと言われた1960年代であっても、関西新劇人の生活は決して楽ではなかった。生活の苦しさは、東京の新劇人も程度の差はあっても同じであろうが、すでに述べたように東京の新劇はその活動が不十分ながらもかなり記述されている。しかし関西新劇人の苦闘は、本書がなければ、永遠に忘れられてしまうかもしれない。

 

 このように本書は演劇史の空白を埋める極めて貴重な作業である。無人の荒野を開墾する開拓民にも似た困難な作業をやり遂げた編者たちの努力に、改めて敬意を表したい。

 

 筆者は本書を通読して、幾つかの感想を持った。

 

 一つは、東京との対比である。東京と比較しても関西新劇は衰弱が著しいが、これは必ずしも人材だけの問題ではないと思われる。関西新劇の舞台を観ていて、この人は東京に出ていれば全国的な知名度を持つスターになれたと思わせた俳優は何人もいる。実際に本書でも触れられているように、金田龍之介、近藤正臣ら関西新劇から出発して東京に行きスターになった俳優も少なくない。そうせずに関西にとどまり続けた理由は人により様々であろうが、「この国の文化の中央偏向を快く思っていない」(道井直次、本書263頁)という点はかなりの人に共通すると思われる。困難な中で関西で演劇活動を続けた人たちの存在は貴重だが、一方で関西演劇界は積極的に人材を吸収しようとする開かれた姿勢をどの程度持っていただろうか、若手を抜擢して世代交代を図ることを追求してきただろうか、という疑問も浮かぶ。

 

 東京あるいは全国から注目を受けるには、東京と匹敵するだけでは不十分で、東京では存在しない、あるいは東京を圧倒する、という作品を作り出さなければならない。関西の(現代)演劇でも、維新派、宝塚歌劇などはそのような舞台を作り出せたと思われる。一方、関西新劇は、戦後70年以上の活動を経て、国民的とは言わずとも関西文化界の誇りとされ今日まで上演され続ける舞台をどれだけ作り得ただろうか。本書には筆者のこの疑問に対する回答は記されていない。本書編者には、編者の個人意見でも良いから、関西新劇の今日でも通用する代表作を示してほしかった。「評判のいい、内容の深い舞台がつくれなかった」(218頁)、これは関西新劇団の学校演劇作品に対する本書編者の評価だが、残念ながら関西新劇全体にあてはまるのかもしれない。(なお筆者の限られた関西新劇観劇に基づくが、筆者は関西芸術座初演の藤本義一『虫』、河東けい主演『母』を挙げておきたい。新屋英子主演『身世打鈴』もそうかもしれないが、遺憾ながら観る機会を逸した。これらは一回限りの公演では無く再演を重ねている作品である。)

 

 次の感想は、新劇の定義である。これも本書には欠落している。新劇の定義は関西だけではなく日本新劇全体の問題だが、これを明確にしないと新劇の復権はあり得ないのではないか。新劇は現代演劇の重要な構成部分だが、すべてではない。本書に、東京新劇の動向は部分的に書かれているのに、同じ関西の他ジャンルの演劇動向は、1970年代以降の若手演劇(小劇場演劇)を除いて、ほぼ皆無である。各章数行でいいから関西商業演劇の動向なども記し、関西演劇あるいは関西劇場文化全体から新劇を捉える視点が本書に欲しかったと思う。

 

 新劇の定義に関連して、新劇と小劇場演劇の関係について述べておきたい。本書によれば関西では、東京のアングラ第一世代にあたる部分がほとんど存在せず、1982年のオレンジ演劇祭が関西小劇場演劇の実質的な開始で、その参加者の大半は学生演劇であった。関西では小劇場演劇が新劇を激しく攻撃した歴史は存在しない。関西小劇場演劇は関西新劇とほぼ無関係に誕生して成長し、両者は長い間お互いの存在に無関心であった。近年はこの壁はかなり崩れ、双方の俳優が共演する舞台も増えている。両者の違いを区別しない、という演劇人も現れている。かつてのセクト主義が無くなったのはよいことだが、安易に新劇と小劇場の関係を区別しない、と言っていいのか、という思いが筆者にはある。詳述する余裕はないが、新劇と小劇場はそれぞれ別種の演劇理念に基づいて出発した演劇である。両者の関係を区別しないという考えが広まってきた背景には、双方、特に新劇の側の理念が薄弱になったことも大きな原因だと筆者には思える。

 

 理念の薄弱は、自信の喪失にもつながる。本書には1970年代以降関西では「マスメディアや演劇評論家は、批評においては、小劇場演劇しか書かなくなる。新劇団の頑張りがあるにもかかわらず、である」(230頁)という指摘がある。しかしこの現象に対して関西新劇界が新聞社、雑誌社に公式に抗議するなど、組織的に対策を練ったという話を筆者は知らない。これも、関西新劇の自信喪失と無関係ではあるまい。

 

 本書が貴重な仕事であることはすでに述べた通りだが、本書を通読して、一部の研究者を除いて、若い演劇人や演劇ファンが直ちに関心を示すか、筆者は疑問に思った。彼らにとって、本書の内容は自分たちが生まれる遙か以前の両親や祖父母の時代の出来事だということもある。しかしそれ以上に、若い演劇人や演劇ファンは、自分たちの演劇が本書で描かれた新劇とは別種の演劇と考えている可能性が強いと思われるのである。

 

 若い演劇人や演劇ファンが新劇史に興味を示さない、という嘆きは東京の新劇人からも聞いた。中国でも若い演劇人や学生は中国話劇史に興味を示さないという(話劇は日本新劇に相当する中国の演劇)。これを若い世代の歴史離れ、不勉強とだけみなしていいのか。歌舞伎の散切り物や新派は新劇成立の前史として重要な役割を果たし、しかも関西から生まれた。しかし明治期の関西歌舞伎や新派の歴史に関心を持つ関西新劇人がどれぐらい存在しているだろうか。新劇人が歌舞伎や新派を眺めたのと似た姿勢で、今日の若い演劇人はかつての新劇を眺めているのではないだろうか。

 

 歴史を学ぶ重要さをただ強調するだけでなく、今日の視点からその意義をもっと明らかにしなければならない。それがなければ、新劇史は新劇青年の苦闘の墓標が羅列されたものにすぎなくなってしまう。

 

 関西新劇の多くの部分に濃厚だった左翼性についても、もっと掘り下げて記述してほしかった。たとえば、第16章で1964年に「ある前衛政党」によって労働運動が混乱し、それが新劇運動にも波及したことが記されている。この政党が日本共産党であることは、共産党自身公開しており周知のことで、なぜこのような書き方をしたのか。左翼性を記述するには個人のプライバシーなど配慮すべき点があるのは理解できるが、このような書き方からは、関西新劇界にはまだ左翼タブーが強く残っているのではないか、という疑問を抱かせる。

 

 本書の編集についても、筆者の感想を述べておきたい。

 

 本書が資料性にたいへん富んでいることはすでに述べたが、それにもかかわらず索引がなく、本書の利用価値を下げるものになっている。膨大な量の人名、作品名を調べるのが困難なのである。現在では電子媒体原稿があれば比較的簡単に索引を作成できる。晩成書房には本書の最終電子媒体原稿が残っている筈である。本書に匹敵する戦後関西新劇史は今後当分の間出ないと思われるので、本書の人物・作品・事項索引を別冊で刊行してもらえないものだろうか。

 

 資料性では、付属資料の参考文献が貧弱なのも残念なことである。参考文献は直接参照した文献を示すだけでなく、これからこの分野を研究しようとする人への研究案内の役割をも果たす。岩田直二『岩田直二の「演劇通信」』(松本工房 1994年)など、落とすべきではない文献が落ちているのである。

 

 そのほか、免れがたいことだが、誤植、誤記も散見する。その中には単純な誤植とは言えないものもある。一つだけ例を挙げる。69頁須永克彦の項で、「一九五五年関西合同公演『茶館』を・・」とあるが、一九九五年の誤りである。阪神大震災の年である。一九五五年前後は日本全国で中国現代演劇の翻訳上演が盛んだった時期なので、初心者が誤解する恐れがある。日本演出家協会か晩成書房のHPに正誤表を掲載すべきではないか。(筆者は、自己の単著の正誤表を個人HPに掲載している)

 

 しかし、本書が最初の戦後関西新劇史であることは、間違いの無い事実である。初めての試みに弱点が避けがたいのは、私たちが日頃経験することである。本書刊行を機に、関西演劇の研究が盛んになることを願ってやまない。

 

(せとひろし 摂南大学名誉教授/中国現代演劇研究・演劇評論)

​(2019年2月28日受領)

 

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